できない事の素晴らしさ

何を言っているのか見当がつかない? たとえば自転車に乗れなかったとしよう。あなたは自転車に乗れるようになりたくて一生懸命練習する。そしてついに自転車に乗れるようになる。自転車に乗れるようになった。それはとっても喜ばしい事。嬉しくなってずっと自転車に乗っていたいと思うだろう。しかしやがて当たり前になって何の感動もなくなる。当たり前だな。一度乗れてしまったらもう自転車に乗れるよう努力も要らなくなる。しかも忘れろったって自転車の乗り方を忘れる事なんかできない。それは記憶なんかよりももっと奥深く体に刻み込まれてしまっているから記憶喪失なったって自転車に乗れるだろう。
 私たちは永遠に自転車に乗れる事の喜びを失ったのである。それは一度きりの喜びだ。普通は更に困難な課題を課して自分を更なる高みに導いていく。それがスポーツや技術の進歩だったりする。一度出来た事は省みられず次のステージに移る。
 こうして次々とできる事をクリアしてしまうという事は次々に新しいゲームに取り掛かるようなものである。そのため毎に新しいゲーム、課題を用意しなければならない。次々とテーマが必要になる。しかしたとえ話だが一生自転車に乗れない人は一生自転車に乗るというチャレンジをし続ける事ができる。これはレベルが低い人と見られがちだ。
 しかし見方を変えれば一つのテーマを追求し続ける人とも言える。何でも簡単にできてしまえば直ぐに玩具に飽きてしまう子供のように浪費してしまう。できない事はとっても良い事ではないのか。