黒澤映画

ずっと新しさを求めてきた男といった感じか。新しさと言ってもあくまで映画の物語の中での新しい物語という面で。創意工夫で新機軸を打ち出すというのをし続けてきた。従来の時代劇が歌舞伎からの伝統に捉われ過ぎていたとしてリアリズムを求めたが何も本当のリアリズムを求めたわけじゃなくて同じ事はしたくないという事だろう。同じ映画を撮ってどうする。何かのマネであってもそこにどういう変化を付け加えたかという事が大事だったな。血しぶきをポンプで噴出すのも観客がオオーゥって思える事が重要であってそこはリアリズムよりも映像的な衝撃が優先されたのだろう。そう考えるとやはり映画の可能性を追い求めた人ということ。
 晩年の映画がつまらないと言われている。私も何か最後の頃の映画を劇場に見に行った記憶があるがそれが何の映画でどういう映画だったか思い出せない。つまり何の印象も残さなかった映画という事になる。それは映画がダメだったのか私が感受性を持っていなかったのか分からない。でも常に新しさを追い求める人なら人に理解されない映画を撮ることこそ本望ではないか。ということで大分毒が回ってきたな。