フィクションは決定的瞬間の連続

でリアルは決定的瞬間の欠乏。たとえあっても汚い監視カメラの映像だったりする。だから9.11の何となくフィクションらしさは決定的瞬間の存在にある。なのでフィクションの役割が決定的瞬間のリアルな再現だとしても克明に見せれば見せる程空虚にフィクションらしさを曝け出す事になる。リアルさには決定的瞬間の不在が必要なのだ。今の所は。それが人間のリアルの経験的認識なのである。

海辺のカフカは今までの集大成という側面がなくはないがアフターダークはまるで違う

もちろんアンダーグラウンドでの多くのインタビューという経験があっての所産かもしれない。しかしこれはまるで村上春樹じゃないなと言っても可能かもしれない。まるでどっかの新人の新作といって出されても納得してしまうくらい違う作品に見える。あれだけハルキカラーが強かった作風からあの歳でここまで変えられるというのは海辺のカフカでこれまでのカラーを出し切ってしまったという感じでもあるのと同時に新たな切り口を求めているような。まだまだこの世界を書き記して行きたいという意欲の表れなのだろう。そういう意味ではこれからも期待を裏切り続ける作家であるような気もする。これだけの固定ファンを獲得した人間がそこまでする事は珍しい事なのかもしれない。変わらないのは章事に違う場面が同時進行して行くような所。これはもう初期の作品からしばしば見られる作風でそういう意味では変わってないな。

当たり前も基準も無いはずなのに

社会はどうして同じ事を繰り返しているのだろう。何事も荒たてるよりは平穏に無難に過ごして行こうという表れか。人と同じにしていれば大きく間違える事はなし。日本は競争より秩序が優先される国だから。