フィクションは決定的瞬間の連続

でリアルは決定的瞬間の欠乏。たとえあっても汚い監視カメラの映像だったりする。だから9.11の何となくフィクションらしさは決定的瞬間の存在にある。なのでフィクションの役割が決定的瞬間のリアルな再現だとしても克明に見せれば見せる程空虚にフィクションらしさを曝け出す事になる。リアルさには決定的瞬間の不在が必要なのだ。今の所は。それが人間のリアルの経験的認識なのである。