自民が自ら政権手放すわけないし

だから民主としてはこう着状態に持ち込むしかないわけで八方塞がりしかないわけだ。そう考えてみるとこの行動は合理性からすべて説明できるわけでこれは参院選後からの必然的帰結なわけですね。何か今ひとつ決め手が欲しい所です。例えば参議院が開かれないと衆議院の議決も無効になるとかの法があるとか、過半数の出席が無ければ議会が有効じゃないとか。大分自民党も苦しんでいるが世はそれなりに平穏だ。余程の失策が無い限り手詰まり感が強まってきますね。

どの精子でも私は私だった

というのは少しは考えた事ある。そしたら遺伝情報ちがうべ。つまり体は違っていた可能性が有りそこから後天的知覚も違ったので今の私と全く同じではないかもしれないが意識の部分ではそうは違わなかった。つまり遺伝情報と意識は別の物というと当たり前かもしれないけど、でもそうすると脳細胞だって違ってたはずだし、ちと怪しくなる。やっぱり別人かよ。兄弟でも全然違うしな。でも意識がどこから発生しているかハッキリしないし他人の体にも全情報を移せば自分の意識はそちらにも移動するのでは。でもそうすると無数の私が存在してしまうが。

環境問題うんぬんでガソリンの値段下がるのはけしからん

で道路作る方が環境が悪いという話があるんですがアレ多くは一時間に数台しか走らない所に道路作るから無問題なんですよ。というネタはさして面白くもないな。けどガソリン下がったからといって無駄に使う人もいないわけで生活必需品なんだからそう消費量が増えるわけでもないだろう。だから環境問題とガソリン価格を絡めて言うのは筋が悪いって。

トップ企業の責任て何よ

日本の常識を変えろよ。トヨタが保守的だと日本全体が保守的になるんだよ。トップ企業にはそれ位の重責がある。トヨタがもっと就労において革新的な手法を持ち込めばその影響力は大きいよなキャノンでもいいけど。社会の流れを変えてリードするという気概があってしかるべき。金のことしか考えてない酷い会社だな。少なくても遠くからはそういう風にしか見えない。
少子化は進む……育児休業が取れない厳しい現実 - 明橋大二 Fan!

気を付けろ!ネット規制法案に反対している人々は

有害コンテンツ作成者かもしれない。自分達の収入源が減ってしまう事に危機感を感じてネットで反対運動を繰り広げているのかも知れない。少なくても利害関係者である可能性が高いのを疑われても仕方ないな。自分の利益の為に全然関係ない人々を巻き込んで潰そうとしている私利私欲の手先かも。と考える事もできる。

法律において信頼性が熟成されていない

国が法律を施行する。その国の主体は誰か。国民です、では教科書的回答に過ぎないのか。だとするとこの国は民主主義が全然定着していない事の証拠である。未だに国は恐ろしい法律を施行して私達国民を縛るものだという観念を抱いている人がいます。いやそれもまるで嘘ではないかもしれません。しかし戦前の恐怖からこんな法律が施行されたら大変な事になるというのはどう見ても脅かしのような気がします。そんな脅し文句で自分達の都合の悪い法律を葬らせる政治運動にしか見えません。だいたい日本国憲法の前にそんな憲法を無視した法律が可能なのでしょうか。甘い?では法律の専門家は何の為にいるのか。憲法の目をかいくぐる為にいるのですか。そうかもしれませんがそれも陰謀論的主観のような気がします。
 やはり法律を怖れている人は自分達の民主主義に疑念を呈しているのでしょう。いざとなったら民主主義なんて何の役に立たない。怖い国の役人が来て無実の人を引っ張っていくに違いない。そういう人は国民が主役という民主主義を否定しているのです。未だに国をお上と同一し国民に敵対する存在だと。それがくそ役に立たない法律ならいつでも修正できるものではないのではしょうか。何の為の国会か何の為の選挙か。ちょうど今は民主党が特措法とか日銀総裁暫定税率やまごころ予算で引っ掻き回していましたが、まさにそういう事で法律の適用を監視していくものでしょう。それがふさわしくなければ止めさせればいいし、失効させればいいわけです。また修正案も出せるでしょう。あぁこれも今まで自民党政治が長らく続いてきてしまったから一度決まった法律はずっと末永くきまってしまうわけですね。何せ暫定税率が三十何年も続いてしまう世の中でしたから。それがトラウマになってしまったわけです。しかしこれからは大丈夫。政権が変わるたびに法律が廃止になったり新設されたりする愉快な国になりますから。まるでジェットコースターに乗っているような新しいめくるめく体験ですよ。だからどんなくそ法律でも試しにやらせるくらいに余裕をもって望めばいいのです。そしてそれが本当に使えないボロ法律だったら提出した政党にダメだしさせ政権交替に追い込めばいいだけの話です。だからどうでもいいや。

救われない仕事の法則

真っ当でないやつを書いとく。
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  • できる事はしても仕方ない、それはする前から終わっているのだ。一段上を狙ってできるかできないかのスリルを味わえ。もちろん失敗したら、ベロ出して失敗してしまいましたぁ、とお茶目に言う!
  • できるだけ人と合うな。他人は仕事に役に立つより邪魔する事の方が圧倒的に多い。
  • 自分でしなくていい仕事は可能な限り他人に振る。仕事を極力減らす事が良質な仕事をやり遂げるコツ。
  • 気まずい空気を避けない。じっと耐えて過ぎ去るのを待て。そこで自分が何か言い出したら負けかな。
  • 場を盛り上げない。楽しさとともにきっと何か大事な事から目を逸らさせてしまう。
  • 他人の事を考えるな。自分の事を優先させるのが一番の他人への思いやり。
  • 余計な口出しをしない。言い出しっぺがやらされて余計な仕事を背負い込む事になる。じっと我慢。
  • 孤立しろ。誰からも一定の距離を置いて場の空気に支配されない。
  • 欲張らない。要点は一つに絞ってブレさせない。同じ事を言うたびに芯がずれて曖昧になって要点がボケていく。
  • 成功させようと思わない。むしろ失敗させる気でやる。それで1/10の確率の仕事に着手できる。成功したらぼろ儲け。
  • あまり力むな。力も手も抜け。
  • まぁ適当に。もちろん上記の事も適当であるのは言うまでもない。
  • くだらねぇ。

仕事の法則

制度の導入

今まで使い方が分からず土木事業に使っていたが危機に瀕して思わず使ったら思わぬ能力を発揮してそれが汎用人型決戦兵器であることを初めて発見したみたいな。マニュアルはよく読みましょう!

つまらない、退屈だということが大事な事

毎日の生活がハラハラドキドキというのはいい事ではありません。ガソリンがちょっと下がってぬか喜びするくらいがちょうどいいのでしょう。いったいどうなるんだろうね、どうなってもいいけど政治家はたいへんだなぁ、中国もたいへんだなぁ、で全然OK。温かく見守ってあげましょうで全然OK。余り熱くならないでくださいで全然OK。

どうしてしたい事ができないのか

世の中自分がしたい事だけできるわけではない。世の中にはしたくなくてもしなければならない事があるのだ。こんな事はよく言われています。これを怠惰な思考をしているとしたくない事は良い事なのだに短絡してしまうことはあり得る事です。それが思考の節約になるからです。面倒な事は考えたくないと思っていると自動的にしたくない事は良い事だに変換してしまいます。で、したくない事をやってる自分はえらい、すごいと肯定するまであと一歩です。そうなると、
したい事=非生産な、無駄な、悪い事
したくない事=生産的、役に立つ、良い事
という思考に嵌ってしまう事になります。こうなると決して幸福感を得られないのではなかろうか。そんなバカな、そんな単純な人間はいないと思えますが、少し考えてみるとそうやって行動している事が無きにしもあらずな事に気付くかもしれません。これは陥り易い陥穽です。したくない事には必要な役に立つ事や自分には合ってない事や自分がやりたくない事があるはずです。そこを明確に分類しないで一緒にしてしまってはいけません。頭を整理しないとそういう間違いもしてしまうかもしれない。

「非科学的な根拠の薄いテーマを題材にした番組制作」は罪なのか2

例えばお化けを扱った番組があったとする。もちろんお化けは非科学的だから即禁止とはならない。それが文化的歴史的テーマだったら許されるのだろう。しかしお化けは本当にいるかいないかという議論になったら科学は今までの温和な顔を脱ぎ捨てて忽ち怒り出すか軽蔑した顔をするだろう。そんな非科学的な事を議論してはいけない。いや本当に科学者だったらそんな事は言わないかもしれない。それは追求してみるべきテーマだという考えを持っているかもしれない。問題は現代は科学技術の社会だということにすっかり染まってしまった圧倒的多数派だ。そういう人々が真っ先にそんな番組は非科学的だと糾弾する。もうそういう多数派の常識が科学の狂信者になってしまっているという事が問題なのだ。と言いながらそれは致し方ない面もあるのだと同時に思う。迷信やニセ科学に踊らされるのも困ったものである。ではどうしようも無い問題なのか。分かっている人だけが分かっていればいい問題なのか。という所で振出しに戻る。
 24時間、365日サイエンスチャンネルがあれば満足という人はそれでいいかもしれないが、そうでない圧倒的多数の人の事も考える想像力を巡らして欲しいものだ。

読んだ!

http://www.amazon.co.jp/gp/product/486276018X
なんだ、この起承転結は。
ちょっと嫉妬した。
オレには関係ねぇ?

「三年でやめる新卒者が四割いる時代。すでに終身雇用は崩れ、寄らば大樹の陰という環境依存型の生き方をするのは、逆にリスクが高い。自律的に自らのキャリアを選択し、自分がどんな人間になりたいのか、という自己実現と、どんな社会を実現したいのか、という社会実現の双方を重ねた働き方が、最も充実したものをもたらすんだ」

原則を貫く

原則を貫くのは難しい。様々な柵がそれを邪魔をする。そうすると原則はなし崩しになり悪癖が蔓延ることになる。
苦渋の選択。日銀人事問題はそうなのかもしれない。適材適所の人間であっても原則を貫き通す為には諦めてもらうしかない。この時期にその場所にいた事の不運を嘆くしかない。これは事故なのだ。財務省から必ず一人は日銀ポストに着く事が既得権益になっている事実を一旦終了させるという決意なら他に選択肢はない。今回副総裁を総裁にしたのだから交換条件でこちらの希望を一つ叶えろという取引を蹴ったわけだ。それを飲んだら今までの人事拒否が茶番になってしまう。もし今回の人事案を飲んでいたら民主党はまた永遠野党の地位に甘んじなければならなかったろう。それ位の重要局面だったのだが気付いている人は少なかったようだ。