そうそう内田樹の研究室というブログの所でライ麦や雪かきの話が書いてあったが

昨今起きる事件や事故にはこういう目立たぬ仕事をする人がいなくなって大事に至ったという事も中にはあるのではないかと思ってしまう。昔はその道のプロという人達がオレの目の黒いうちはとか言って人知れず破局を未然に防いでいたとか。もちろんそういうものの礼賛になっても困るけど。利点と欠点はあるだろう。様々な可能性が失われたとか自由な行動が制限されるとか。逆にいえばそういった技術の継承が放棄された、棄却された、不可能になったということかもしれない。へ、自由化が悪い、規制緩和の弊害?それも短絡的だろう。生きている限り立ち止まれない。何がまずかったのか気がついたなら直さなければならない。後はどうなろうと知らないでは未来への裏切り、結局は自分の子供たちへの時代はどうにでもなれということだから、後に年金強奪されても知らない。あぁ、しかし今働いている人が今年金を払うのを止めたら忽ち今の年金はストップするわけだから、鍵は働いている人が握っているわけでそう思うと愉快だ。勝ち逃げなんて言っていられないわけで、せいぜい若者にゴマすっていないと忽ちストップだって現実味を帯びてくる。まぁそういった全体的な動きができるかということもあるが現実は予断を許さないともいえるわけで、勝者なんいないのだ。話がズレた。
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