テクノロジーとヒューマニズム

http://d.hatena.ne.jp/kagami/20060530#p2

一番初めに収録されている短編「ギヌンガガップ」は、ブラックホール
を利用した光速を超える瞬間移動装置の話ですが、その装置は、転送元の存在を
破壊して、転送先で原子レベルで作り直すというシステムで…、その時の転送先の
”私”は、転送元の”私”と同じなのかということを、衝撃的な形で描いている。
古典的な人間観念(ヒューマニティ)からすれば、”別の私”な訳ですが、本作の
作品の凄いところは、そういったヒューマニティはテクノロジーの発展によって
否応なしに崩壊してゆき、そして人間は過去の人間とは全く別の存在に変化してゆく

最近の愛国心やらもどうもこういうヒューマニズムの表れのような気がする。現実を見ていないというか。Google等のテクノロジーも現実なのだからそれに対応した考えをしないとダメなのだろう。
だからといってヒューマニズムを否定するものじゃないのだが、その守ろうとしているものはヒューマニズムとは違うものだろうという気がする。それはただの形式主義だよ。というと形式が重要というひねくれ者が出てくるので困る。ここではそういう文脈で形式主義を用いてるわけではない。