人は最適解を望めない

耐震偽装で皆が幸せになる答えは何だったのかと考えれば、ヒューザーマンションに住民が最後まで住み続け、ヒューザーを支持する事だったろう。いずれ行政の側から退去命令が出るのだから、その時は行政側に退去の費用を負わせれば良い。それまで断固としてろう城を決め込むべきだった。そして日本全国でヒューザー応援の声が広がりあの安くて広いマンションを支持し、ヒューザーが販売拡大に向かえば自力で偽装マンションの立て替えも可能だったのである。すれば住民にとってもヒューザーにとってもハッピーな事であったろう。現実はそうはならなかった。そうした未来が可能だったかと考えてみても難しいとしか言えない。そこには結果責任のようなもの負わせる何かがある。関係者皆が不幸になる事が分かっているのにそこに向かう運動。人間は予め不幸に向かう運命を背負っているのか。そこに幸福になる道が繋がっていたとしても。そこが限界。そういう意味ではライブドアも同じ。