たったひとつの冴えたやりかたは民主主義では発揮できない

我々に幸福の道が繋がっていたとしてもそこにはなぜか通行禁止の標識が設置されているのです。たったひとつの冴えたやりかたは確かにある。しかし民主主義ではタブーや既存の法律に違反してしまったり非難を浴びる事になってしまいその手段は使えなくなる。もしそれが実行可能としたらそれは個人が決定できる機会の時に限られる。だから民主主義の決定というのはいつも冴えなくてパッとしない。そう考えれば日本ではとっくに究極の民主主義が行われていたのかもしれない。だっていつだってパッとしない結論しか出て来ないのだから。そして全員が程々に不幸を分け合うのだ。