人は段階を経て学ばなければいけないのにネットはそれを破壊する?

そうかもしれない。けど今更情報規制なんて無理。なるようになるしかない。大人だってこうやればいいとまだ教わってない部分のショートカットを教えてしまったりする。全てが表されてしまったネットでは簡単に答えを見つけてしまって考える力が身に付かなくなるという危惧もある。確かにいきなりモロ画像に行き当たってしまうものである。フィルターとかいろいろ考えたりするがこの方面で大人は子供を出し抜けないだろう。技術の面では小学生はお母さんを出し抜いてしまうものだ。お父さんは? きっとお父さんがセキュリティ上の穴になる。段階を踏まなければ考える力がつかないのか。そうとも言える。しかし人間はどうしようもなく考えてしまうものではないのか。考えるなといっても考えるのでは。考えるのはどういう材料でも良いのではないのか。それが大人が決めた決まりきったシナリオ通りでなくっても。


昔教会が情報を独占していたのはその情報を人々に開放すると混乱して物事が理解できなくなると怖れた為ではないのか。まぁその結果はある意味教会が怖れた通りに教会の権威は低下し人々は混乱の中にあるともいえる。しかしそれ以外に飛躍的な進歩を遂げたとも云える。どちらが良かったかはまだ結論は出ていないのかもしれないが。まぁこの比喩を持ち出したのは合ってないかもしれないけど。