日本的感性は死んだか

かつて日本的感性というものがあったがどうかは知らないがそういう幻想を抱いていたのは確かなようである。曰く日本では比較広告は下品と思われて成功しない。そんなストレートな表現は奥ゆかしさを大事にする国民性と相容れないと。そんな日本にも平和は去り大変動の真っただ中でグローバリズムの荒波で世界基準の広告が幅を利かすようになったとさ。カード会社や保険会社やパソコンのCMで比較広告は花盛りだ。それでも米ほど直接的ではないのかもしれない。そこがかろうじて残った日本的の防波堤。そう思う心情が古いのか。それを知ってる自分はへへ〜なのか。これは日本の文化的危機なのか。どこにも逃れられないグローバリズム。やっと趣味的感性から脱皮できたと喜ぶべきなのか。その奥ゆかしさはそれほど大事にする程の事でもない。世界と同じスタートラインに立って一から始めてもいいじゃないか。その時に後から日本にはこういうものもあったなと思い出す程度でちょうどいい。
http://mirror-ball.net/2006/11/post_87/