正しさを謳う主張は科学的ではない

 これは正しい事ですとか正統性を主張することは科学的な態度とは言えません。科学は全てを疑う事が出発点なのですから。水伝でも鏡からの法則でもこういう正しさがある、これが正しい行いであるという主張がありますが科学は何も正しさをもたらさない。光が一定の速度を持つ事も核分裂を起こす事もそれが何か正しさを表すわけではない。それはただそういう事実があるだけでそれは人間の正しさとは何の関係もない。
 なのに道徳やしつけの根拠を科学に求めてしまうのは他に頼るものがなくなってしまった現代の状況かもしれません。宗教ではもう説得力を持たなくなってしまった。道徳やしつけを守っても損をするだけ。あらゆる手を使って勝った方が結局はお得。ライブドア騒動もその辺の問題も抱えていたようにも見えます。そういう状況が水伝や鏡法の流行の原因かもしれません。これはつまるところ実証主義や客観主義の蔓延がもたらした社会の帰結なのかもしれません。人間社会は実証主義や客観主義だけでは測れない人間の生き方を求めている。人間の心の叫びが人間の生存の在り方を求めて彷徨っているような気がしてなりません。