純粋真性批判

世の中偽物はいかん、疑似はいかんと騒がしいですが一体偽物が存在しない世界が未だかつてあったでしょうか。確かに偽物を非難することは大事なことでしょう。ある一定の努力は賞賛されるべきです。しかしどんな偽物も見逃さない世界は自由がない硬直世界の完全管理社会となるしかありません。この世に本物しか存在が許されなかったらその解釈次第で大粛正が行われることになるでしょう。お前のやっていることは偽物だ、真似だ、オリジナルでない。そんな社会にどういう創造性が許されるというのでしょうか。


全ての創造的行為は真似やオリジナルの改良から行われていると言っていいでしょう。その行為が許されないならやがてそれは人間の存在にも及びお前はオリジナルではない偽物の存在として抹殺されかねません。お前は誰々さんの劣化コピーでしかない。そう言われるのは地獄に突き落とされるに等しいかもしれません。


この世に人を騙したり偽物が出回ったりしなくなったら人々は何の心配もなくなります。疑う事もしなくなるでしょう。全ての約束は守られ契約は滞りなく実行される。そしたら約束=現実、契約=実現になってしまいます。それはやがて実際の行為を伴わない口約束と書類上だけで完結してしまう世界を作り上げてしまうかもしれません。そんなのは嘘だ。約束の実現、契約の実行こそが意味がある事なのだ。そういう世界は鉄槌を持って打ち破らなければならない。


人は騙されるから成長するといってもいい。子供の頃から嘘とどうつき合うかというのが人生に求められたテーマです。それがもしなくなってしまったら人間はかなり薄っぺらいものに成り下がってしまうでしょう。ある程度嘘も偽物も容認されなければなりません。人が自由に主張して自由に商行為をする自由は確保されなければなりません。それが嘘かどうかを決めるのは自分でなければなりません。過保護すぎる政策は結局は国力を減衰させ結局は人間の能力を低下させ人類の生存能力を減少させる事になるでしょう。世の中は偽物で満ちている。それをデフォルトとしておけばそう人生を誤る事は少なくなると思われます。