流れすぎる日々

人は何となく月日を送ってしまうもの。しかしどうしてもその選択を譲れないとなればそこで決定的に世界は時を止めてしまう。いや時間は経っていく無情に無機的に。しかしあなたの思考はそこで停止したままだ。安易に活動を再開すれば世界は何事もなかったように動き出してしまう。しかしあなたがそれをYesというまでは世界は凍り付いたまま。世界中の人が固唾をのんで見守る事になる。あなたの意思を確かめる為に。それが済まなくては何事も始められない。あなたがその書類にサインしなければ何も物事は進まない。みんなが迷惑? 知った事か。自分にとってそれが大事なら世界中の人が迷惑したってかまわない。それが哲学の価値だよ。その思考によって選択が変わる。そうでなかったら何の為の思索か。何の影響も与えなかったらそれこそ象牙の塔の中の話だ。世界全員に影響が出るからの価値だろう。もう生きる望みを見いだせなかったら今日から人間に必要な活動を停止するしかない。それこそが世界に影響する哲学だ。それが生きる意味。生産活動を維持する為の言い訳でなくて、生きる意味を納得して生産活動に移らなければならない。順番は大事だよ。誰もその答えを見出せないのが現在という状況ではないのか。みんな惰性で生きている。
人類が絶滅するときは何かの災害でなくて自らの意思でありたいものだ。それが哲学の勝利。