理解できる事は初めから分っていた事というと

なーんにも新しい事なんて知り得ないわけですが、それが人間の限界というやつですか。人間が知る事ができる事は予め定められている。理解するという事は体が分っている事を単に言葉にできる事だったり感覚で分っていた事を言葉にしただけだったりする。ナーンだとがっかりすべきか安心すべきか。
 人間は初めて見る景色を理解できないといわれる。景色を理解するのは今までの景色との共通点から認識を構築していくから。ここに見えているのは何々かもしれない。何々ににているな。初めて見る火星や金星の地表の写真も砂漠や月の表面からの類推でしかない。常に似ているものを探している。つまりある程度のデジャブ(既知感)がなければ映像というのは理解不可能なのだろう。だから赤ん坊が初めて見る景色は理解不可能でそこには意味不明な色や形が浮かんでいるだけのはずである。しかしそこからどう理解が深まっていくのか。それには原初のデジャブが必要ではないのか。全くの白紙だったら何も新しい事を知り得ないという事と矛盾するから。それが生前の記憶。本能。