異論の表出

人と違った意見というのは尊重されるように見えて排除される傾向がある。どんな意見も尊重するという民主主義の原則に顧みても道徳に反する事は排除されがちである。そこは建前と本音という部分でもある。いつだったかフィジーの南の島である作家が生まれた子猫を崖の下にポイポイ投げ捨てるといって炎上騒ぎになった。私等も憤ったりしたのだが結局はどうでもいい事であった。まぁそういう事は公言せず粛々と実行すれば宜しい、という事を世の中は求めているという事だ。しかしそういう建前と本音につい耐えきれなくなったり口が滑ったりする事は枚挙に暇がない。原爆がとかアルツがというのは記憶に新しい所です。異論というのはこそっと言うものであり誰でもアクセス可能な所に置いとかれては困る18禁のような性質を持つものなのだ。つまり大人の会話というやつですね。これが例えば書物だったら問題本は非難の対象になったり、例えばバトルロワイヤルとか自殺の方法の関連本とか、もちろん水伝も。そしてそれが難解とかで余り出回らない本なら問題にはならないし、逆に珍本奇本としてコレクターアイテムになるかもしれない。ネットの場合も検索の奥深く紛れているなら問題にならないだろう。それがグーグルでトップに近い所に表示されると忽ち問題になる。アクセスが多いという事は過激な発言を抑圧する方向に働くのである。それはまぁ古からの法則であって今のネット時代にも生きている普遍の法則かもしれない。平穏無事それが一番。しかし世の中の矛盾が大きくなればそうとばかり言ってられなくなる。そして注目を集めたければ少しは過激な表現も使いたくなると。余りにも当たり前で眠たくなってきた。