一番役に立たなくなる事で多くの人に関係あるのが子供との接し方だろう

これが自分の子供の時の経験とかなり違ってしまう。自分が子供のときは今の状況とかなり違うわけです。自分が子供の頃はネットなんかなかったわけだし。ネット検索で○○○と打っただけでお宝画像に行き着いてしまうなんて許せない。一体自分達の苦労は何だったのか。そもそもそんな安易な方法で手に入ってしまっては創意も工夫も育たないではないか。何ら計画も企みも計略も作戦も考える必要もなくそんなんで自分の頭で考える人間に育つのだろうか。そういうのも大学の論文のコピペ問題に現れているが、それよりも育ち盛りの頭脳の発達が一番重要な時期に考える力が養われないという重大な問題が潜んでいないかという事を危惧するものである。
 そういう事も含めて自分の子供時代の経験が子供たちの役に立たないとしたら何とも寂しい事である。しかしこういった事は常に行われてきたとも言える。自分達のときは親の世代と違った子供時代だったはずだ。つまり子供たちが一番時代の影響をもろに受けて成長してきたのである、これまでもこれからも。その中でその時代の人間が生まれてきたのであって子供時代の正しい過ごし方など実はないというのが本当なのだ。大人が思っている子供らしさの幻想なんて自分の子供時代の思い出に過ぎない、多分。子供はどんな環境にも適応してしまうし戦争中だって子供は育つしかない。だからネットの悪影響とかどうだというのだ。そんなもの何とかに毛が生えたようなどうでもいい問題に過ぎないに違いない。
追記:よく考えたらこの考えはどこかで読んだんだな。まぁ自分の考えなんかいろんな拾い読みの合成物でしかないわけだが。