まったく同情の余地なしと言うしか無いのだが

http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20070829
しかし自分だって恵まれた地点に立っているからそんな事が言えるのかもしれない。どういう境遇にあったのか分からなければ本当の所は分からない。で社会にもっと隙があれば彼らも銀行強盗でも企てたかもしれないと思った。銀行の損害は保険で支払われるから大丈夫誰も損はしない。その発生時点までは。そうすればあのような被害者を生む事もなかったのではないか。社会の防犯とかセキュリティが厳しくなればなるほど加害者はより実現可能な行動になるしかないわけでそれが普通の一般市民の女性に向かうということがいえる。つまり社会のセキュリティの向上が一般市民をより危険な立場に追い込んでいるともいえる。なんていう矛盾。銀行は国に借金まで帳消しにしてもらって指紋認証などでセキュリティを高め自分達は被害に遭わずに一般市民を犠牲にしているのだ。結果的にだけど。暴力団も昔は祭りの出店などに出入りしていたがそこから一掃されより非合法な分野に進出した。社会から見えなくなった分、より過激な方向に向かったのである。それが今振り込み詐欺などに回っているとしたらまさに暴力団は一般市民を食い物にしているという事になる。なら昔の方が良かったではないか。警察は責任を取ってもらいたい。そこまで追いつめしまったツケなのか。
 それと同じように社会のセキュリティの向上は犯罪者を追い込んで犯罪をする場所をどんどん奪っていく。そして狙われるのは路上を歩いている歩行者やSECOMに入れない貧乏家ばかりなり。なんてこった。これでは意識的にセキュリティを低下させてくれなければ市民は安心して過ごせない。わざと強盗に入り易い銀行や店を作って犯罪者の欲望を満足させないと狙われるのは個人だけである。銀行や店はどうせ保険で賄うのだから少しは被害にあって個人の生活を守るべきなのである。そういう社会的コストを社会が負担して個人の安全を守るという視点が必要なのだ。なんでも厳しくすれば安全が守れるなんてうそなのだ。そういう緩み、隙があってこそ健全な社会なのだ。こういう場面にもコペルニクス的転回が必要な時代となったということ。
追記:
もちろん。社会の緩み・隙は今でもまだまだ十分あるのだけれど社会の底辺に位置する人間にも使える緩み・隙でなければならない。知能犯だけが利用できる隙ではダメなのである。それが社会のセーフティネットになるということ。石原さんが作った新銀行東京辺りが率先して襲われそうな銀行を作れば公共的性格の銀行として都民に安心を齎すかもしれない。そして増々石原さんの人気が高くなるという案配だ。