デザイン革命3

で、デザインなんてどうせ何も出来ない奴のたまり場でしょう、ていうと石が飛んで来るだろうがそういう側面がない事はない。イラストも書けず書道やカリグラフィも苦手だからデザインをやるという選択肢はある。それとそのデザインの質とは関係がないものだ。で、基本さえできてしまえばそう特異なデザインを要求されない限りそれなりのものができるのである。それは絵や書の持って生まれた才能でどうにもならないものとは違う。もちろん一流といわれる人の特別な感性を持ちうるわけではないがそれ程の要求基準は普段は設けられない。
なら一般の人でも入り込めるのがデザイン現場である。しかしリアルの職場で経験のない人が採用されるはずもない。ならパソコンを使って一人でやってしまおうよというのはアリでしょう。また企業が経験のあるデザイナーを集めて専門の業界に任せず自ら発信するというのもアリである。このように今までの業態にかかわらず様々な形態による発信が可能であるはずなのにこの業界の変わらなさはどうだ。何もこれはこの業界に限った事ではなく日本社会全体が大きな変化が可能であるはずなのに不況という言い訳の内に今までと変わらない形態を保ち続けじり貧の息を殺して生き延びているような生態を演じているのだ。
 アメリカはデジタルの変革を超えてきた世界(構造的にも)であるが日本は未だにデジタルの変革が行われていないのだ。それは今までの構造が温存されている世界であるのだ。デジタル機器は導入されたが旧態依然とした構造はそのままで値下げデフレの状況で利益が出ないと嘆いている。自らがこの新しい環境に合った仕事を模索していかなくてはならないのに誰もその事から目を背けようとしている。この事から目を逸らしては決して日本はこの構造的な不況からは抜けられないだろう。本当にデジタルによって可能になった事を生かさなければ宝の持ち腐れといわれても仕方がないのだ。偉そうな事を言っても何も実践できていない人間が云うべきでもないのだがそう思ってしまったのだから仕方がない。