気持ちよく生きたい

人間らしく生きたい。それには何が人間らしさかが決まっていなければならない。それは面倒なので気持ちよく生きたいとグレードダウンしよう。それでは動物並みの望みではないかと思われるかもしれないが人間にとっても気持ちよく過ごす事は重要度が高い事項である事には変わりない。気持ちよく生きたいとはストレスのない生活である。しかし現在も昔も生きている限りストレスに曝されるのが生命の運命だろう。もののあはれとはストレス後の感情である。仕事をやってもストレスばかり。どうしてこうストレスと無縁でいられないのか。生きているとはストレスに曝される事と同義である。ストレスからの解放は死しかない。後はストレスをストレスと感じない境地に至ることである。また多いのは何でもない事をストレスと感じてしまう事もある。曲がっているものを真っすぐにしないと気が済まなくなるとかなりのストレスを抱え込む事になる。気にしないというのも大事だ。部屋を奇麗にしないと気が済まないというのもほどほどだ。かといって全然片付けなくても平気というのも多いのだから何がストレス社会なのか。それは他のストレスが逆に作用しているのか。
 この気持ちいいというのも自分が気持ちいいと他人が気持ちいいの利害がぶつかる事がある。誰がその仕事をやるかでその人の負担が増える。そうやってストレスを分け合っているとも言えるがその話し合いで余計なストレスを抱えるという事もある。つまり格差社会の本質はストレスの格差なのだろう。結局金銭の問題もストレスに還元されるのかもしれないし。