「「丸山眞男」をひっぱたきたい」はなぜネットで発表されなかったのか

このネット時代になっても大事な物は未だに雑誌で発表されなければならないのか。この議論が社会を巻き込む議論に発展した?といってもそれはネットの話題も相当含まれているだろう。しかし発火点は雑誌であってその反論がどうしようもないものばかりなのが明らかになってやっとネットでも話題になり始めてきた。もちろん雑誌で発表されたのだからその全文がネットで掲載されるわけもなく当初蚊帳の外だったのだから話題にならないのは当然だった。しかし最初からネットで発表していたら著者に原稿料も入らず、雑誌も売り上げが上がらず経済的には何も良い所が無かったのだから関係者にとってもこの順番が最良だったのだろう。結局はネットでも評判になったのだから。
 しかし未だにネット発で世の中の議論が沸騰するという事が余り無いような気がするのは寂しい事だ。ネットは未だに旧メディアに追いつけない存在なのか。いろいろネットでも評判になっている記事はあるって?そうかもしれない。それでもこの「「丸山眞男」をひっぱたきたい」は雑誌の権威を利用して認知された局面があるし、それを批判した人々の権威もまた利用したのである。ネット発だったらここまで話題にならなかったとしたら、逆に権威がまだまだ必要であるということを意味する。それは匿名無名の人々が何やら騒いでいるけどネットの話題だから余り気にする事はないという見方を容認することでもある。発表の場によって論説にランク付けがされてしまうという事は否定できないけれど、本当に白熱した議論ならば問題は内容で発表の場ではなはずだ。それが大事にされるのは結局は中身がどうでもいい事と言ってるようなものだ。それに金銭の問題だって本当に白熱する議論を呼び起こすならその提起者に注目が集まらないはずはないと思うが。そこまで考えるとこの騒動がメディアが仕組んだ罠というかシナリオがあったんじゃないかと邪推してしまう所もなくはない。