言葉が気になり出すと発話できなくなる

言葉に厳密な意味を求め例えば、きれい、がこの程度できれいと言っていい物か、もっと美しい物に使うべきなのではないか。きれいというには奇麗すぎてきれいということばでは物足りない。このように一事が万事過不足している状態でぴったりしている状態がないと思うと言葉が使えなくなってしまう。
 昨日設定をしていて思いの外時間が掛かってしまった。単純に目的を達成するだけではダメでいろんな場面を想定して試してしまう。結局はそこまでやって納得しないと理解できなくてああこうなっているのかと分かって安心するのである。つまり理解できないまま使うという事ができない性格なのだ。ああしてこうすればこうなる、ではダメで、でもこうしたら、逆にしたら、順番を変えてみたら等と収拾が付かなくなりそうになる。しかしこの理解しないと不安というのは信用しないという事でもある。これが行き過ぎると所謂ノイローゼ状態に進行するので注意が必要である。この頃は自分にもだいぶ慣れてきたのでその辺の見切りもというかぞんざいになったかな。その辺が繊細さと大胆さを併せ持つという事にも繋がるがこれは良い所に現れると良い結果が現れるが変な所に現れると大変な悲劇を齎す。