日本語はどっち付かずの言葉だという

英語はイエスとノーがハッキリした言葉ともいわれる。では英語で曖昧な態度の時はどうしているんだろうと思ってしまう。そういった曖昧な言葉が少ないなら明確な言葉で曖昧さを表現するという高等な話術が発達したはずだ。そうなるとハッキリした言葉という問題でなくなってしまう。では曖昧な言葉である所の日本語は元々備わった語彙のために曖昧さにおいては高度な話術が発達しなかった事になり、その為に曖昧さに困る事は少なかったとも言えるかもしれない。日本語が曖昧で困るとは言葉尻を捉えて言う言いがかりのようなもので本当はそれほど困っているわけではないのではないかと思われるのである、だったらいいな。