というところで疑問が

ウェブ時代をゆく」はなぜウェブで発表されなかったのか。もちろん長文がネットに向かないという事もあろうが。

    1. 契約の関係で出版という形を取らなければならなかった。
    2. まだまだ現金が欲しいぜ

これだけネットによる変革を叫んでいる著者が旧態依然とした出版という方法をとらざるを得ない。それこそがネットがリアルに今ひとつ入り込めない壁ではないのか。ネットに没入している人以外にも届けたいそういう意図も今回は読み取れる本なのでそういう意味合いもあるかもしれない。それでもネットで発表後出版という形も取れるはずだ。契約上無理? それをクリアするのが最先端を行く人の務めだろう。歌手がレコード会社を経ないで直接曲をネットで公開する時代である。言っている事と行動が伴っていないのではないか。それこそ陽明学の肝である言動一致。言っている事と行動が伴わないのであればその辺のえせ評論家と同じ、庶民をまやかしの言動でくらまし自分ではそんな事は絶対しない言論を振りまくだけである。
 言っている事と行動が一致しない。その事を極めるとこのおかしな世の中にのうのうと生きていく事は出来なくなる。自分の言った事を全うする為に死んで行ったものもある。その辺の作家や政治家のように言う事と行動を区別する事なんかできない。何でも極め付けると苦しい物です。何事も適当に生きる事を強いられる。妥協点を探る。妥協できない者は死への道筋をたどる以外なくなります。人生はつらいよ。