けもの道について考えてみる

誰もが才能を持ってイチローやゆきひろ氏のようになれるわけでないのだからそういう極め道をゆけない人はけもの道で勝負しようと。そこは一つの才能よりは全人格を総動員するような注意深さが必要で才能よりも経験がものをいう世界。そういう世界でもネットをうまく使いこなして行けば経験を補って突き進んで行けるに違いない。けもの道なら誰でも同じようにリスクがあるだけで特別な才能を要求される訳でない誰でも参加可能なしかしちょっと危険な冒険に出られるということか。そこには誰にでも同じようにチャンスが転がっているはずだし、まぁでも道に迷って飢え死にする可能性もあるな。だから誰でも出来る訳でもない。それだけの覚悟がいるだろう。好き好んでけもの道を歩くやつはいない。自分で道を開けなければ誰も歩んだ事が無い道を行こうとするのだから。しかしネットはもっと多大なチャンスを与えてくれるはずだという事かな。けもの道は喩えが厳しすぎたか。あぜ道位が妥当かもしれない。たまに人が通るが交通量が多くない通り。そこにチャンスを見いだせるか。ネットで新しい付加価値を付けられるか。まぁ喩えだからそこは厳密に考えても仕方がない。
あぁ、でもやっぱり今までに無いやり方生き方を模索するのだからけもの道でいいのか。