仏性

昔々あるお寺で猫を前にして猫にも仏性があるかを巡って喧々諤々の大議論が戦われました。それを見て住職は猫を取り上げて斬り殺してしまったそうです。夕方No.2が外から帰って来てこの事を話すと彼は草履を頭に載せ無言で去ったと言う。これを見て住職は彼がいたならば猫は殺されなかったなと言ったらしい。
 これをそのまま取ると猫に仏性があるかどうかなんていくら議論しても分かるわけが無い。何も新しい材料がないのだから堂々巡りに終わるだけだ。草履を頭に載せたのは物は使いようで草履を頭に載せても何の役にも立たない。仏教だって使い方を誤ればそんな下らない議論に費やす事になってしまう。つまり猫を葬ったのは無駄な議論をしている人への懲罰的意味合いもあっただろう。No.2はそれに気づいたから住職は彼がいたなら猫を殺すまでもなかったという事を言いたかったのだろう。というのは平凡過ぎる解釈だろうか。でもだからといって猫を殺す事はないだろうと思うけど昔の中国の話だから仕方が無い。