現象の分析

人は何か結果が起こった時、予想や仮説を立てる。パソコンが起動しなくなったらハードディスクが逝ってしまったのだろうか、電源の故障なのか、何らかの兆候や経過から推論を立てる。電源は入るのに起動プロセスに入らないのはハードディスクが認識しないせいだとかこれなら修復ソフトで復旧できるはずだとか見通しを立てる。これは普段の生活でも犯罪の捜査でも自然科学の理論の動機でも同じ所だ。しかしこの見通しがくせ者である。あらゆる事象から原因を特定するのは困難だから直感を利用して原因を絞り込むのは効率的なやり方だろう。見込み捜査で初めから犯人を絞り込んで犯人と思われる重要な証拠を掴んでしまえばその他の捜査はやる必要はないから手が省ける。しかし外れた時は悲惨である。初めから全くの白紙から捜査はやり直しである。
 こんな事が現代物理学でも起こっているのだろうか。何の証拠もまだ上がっていないのに「スーパーストリング理論」が正しいはずだという見込み捜査を行い決定的な証拠を掴もうと必死になるが大きな進展はない。
 確かに直感は無限の事象の中から極めて限定的に絞り込みを行い当たった時は真犯人を短時間で特定する事ができる。しらみ潰しに全てを対象にする場合に比べて凄く効率的だから人はできるだけ直感を利用して楽をしようとする。それが進化論的にも生存に有利に働いたのだろう。生き残る場面は一瞬で勝負が決まる事も多いのだから。
 しかし直感や思い込みはそれと同時に沢山の悲劇も残して来たろう。解決できなかった未解決事件。今となっては間違ったものとされた仮説に一生を捧げた研究者。今となっては誤った判断と糾弾され多くの犠牲者を出した事件事故。もちろん偶然が左右した場合もあるだろうが直感で判断した場合もあるに違いない。時間が無い場合選択肢が無い場合もある。
 けれど最初に思い込んだり直感で動いてしてしまった為に基本的な確認を飛ばしてしまって多くの無駄な時間を過したという経験は誰でも少なからずあるだろう。例えばパソコンがネットに繋がらない、設定を何度も見直すがどこもおかしくはない。プロバイダのせいかと思い散々掛け合ってもらちがあかない。そのうちケーブルを確認とか言い出して渋々見てみるとケーブルが緩んでいたなどういう落ちがあるかもしれない。
 この思い込みは直近の体験から引き起こされる事も多い。それを利用したマジックもある。最近ハードディスクが立て続けに壊れるからつい今度もそうだと断定してしまう事もあるだろう。人間は直近の経験に引きずられる傾向があるとは言える。だからアレが起こってなければコレも起こらず今回の件も無かったというような言い回しが可能になる。