信頼社会とはルールがルール通りに適用されること

これが恣意的判断で覆されてしまったのでは中東の笛ハンドボールのように諦めムードが広がってしまいますね。また金銭による買収などで判断が曲げられれば絶望してしまいます。この辺は全米が泣いたのテーマでもありますが。日本でもバブルの後始末で自分達がやっていたのはサッカーだと思ったら別の競技だったと有名な句をはいた人もいましたが。で日本は信頼社会たり得るかという事で全然ダメじゃんとウォルフレン爺さんも仰ってた。ある時はOKである時は逮捕される。こんなスピード違反取り締まりのような社会でいいのか。なぜライブドアは起訴されて日興コーディアルは不起訴なのか。そうやって世の中がルール以外の見えない条件で左右されると人々はやる気をなくし不安な状態で過さなければならなくなる。なら金でも渡しておくかと不正がまかり通る事になる。これで信頼社会が熟成されるわけもなし。しかしこういう事をおかしいとはっきり主張する市民が育たなければいつまでたっても世の中は変わらないと。問われているのは我々一人一人だとウォルフレン爺さんは言っていた。