デザインは理解してもらうのに苦労するものなのか

一目見て良いと思わないデザインはダメなのではないか。テレビのリモコンだってパッと見で分かる事が重要なハズである。そこに説明や理屈が必要な程ダメなデザインであるはずだ。存在が圧倒させるものがデザインである。圧倒までは言い過ぎだけど言葉は要らない。「デザインはメッセージであり、デザインが人の行動を決めるのだ。」ならばデザインの重要性を理解してもらう必要はないはずだ。だってデザインが人を行動させてしまうはずだから。
 単純な話、女の子が好きな服を選ぶときそこに言葉による説得は不必要であるはず。多少言葉を連ねる時もあるがそれはあくまで補足であり枝葉にすぎない。そのものに圧倒的存在の意味がある。デザインを理解してくれないなんておかしい。それは余程微細な問題に拘っているからではないのか。もちろん微細が問題になる時もある。しかしデザインは誰にでも分かり過ぎてしまう所にこそ問題がある。だから誰もが言いたい放題。これはもっとこっち。もっと大きく。こうしてデザイナーな意図は無視され本当にどうしようもないものが出来上がる。だとしたら大胆さが無さ過ぎたと反省してもいいのかもしれない。
 でも実際問題として対立が起きるのが普通で日常の中でそんなに大胆な事はできないわけで日々の行程の中でありきたりな常識の範囲で進んで当たり前当たり前で事が進んで行くのが当たり前でそう言う事は意識されない事が多いんだと思う。
デザインはメッセージである - ビールを飲みながら考えてみた…