ぐるぐると

言及しなければ批判される事も無い。火中の栗を拾う。しかし例の事件についてはスルーする事は誰もできないのではないか。何か今風の事件に見られがちにというか、昨今の社会状況に合わせて解釈されるのだがそこは表面的な事でこれを利用して社会変革の糸口にしようとする思惑が見え過ぎだ。社会状況が酷い時それを背景とした事件はいつでも起こって来た事だ。社会が貧しい時、事件の原因は貧困にある、身分制度にある、過酷な労働環境にあるとその都度解釈されたきた。だからそれを利用して社会に変化を促すのも悪い事ではないのだろう。原因を全体の中から見いだすのか個の中から見いだすのか。
 やっぱりゲームの中の一イベントに過ぎないのか。これを民主党は好機と見、問責決議案の提出を後押ししただろうか? 組合に対するテロ行為と見るのはうがった見方だろうか? 事件のインパクトは大きかったが社会に対する影響は限定的でやがては忘れ去られるよくある事件の一つとして埋没してしまうのか?(しかしそうなる未来はあまり望ましいものではない)
 彼は特別な人間でなかった。誰でも一度は抱いて通過して来た道とも言える。よくそれを乗り越えてとかも言われるが多くの人にとっては何となく過ぎ去ってしまった過去でもあるのでは。あの時に何かが重なっていたら何かをやらかしたかもしれないという覚えはある人もいるかも。じゃあ単に運が良かっただけではないか。てか彼が運が悪すぎた? 殆ど当たらない宝くじに当たってしまったようなもの。ではその運の悪さに巡り会わなかった人生に感謝して過しなさいという道徳訓を引き出して終了とすべきなのか。
 誰もが考える、我と彼の違いは何だったのか? 始めから出来が違うのさ、ほんの僅かな差が決定的な差になった。単に石に躓くか無かったかの違い。本当の所は誰にも分からない。しかし誰もを考えさせる事になったのは確かだ。あと報道というのはこういう事件を求めてしまうというのは恐ろしい事だな。