運の良さを苦労話にすり替える

これが嘗てそして今も続く成功した人の常套手段なわけでして、なぜそうなるのというと、そうしないと自分の利益の正統性が確保されないからという理由でその志向性を意味付ける人もいます。確かに運だけで金を得たとなるとそれは不労所得だから公平でないといった文句が下々の者からでないとは限りませんというか絶対に出ます。だから世の中を平穏に収める為には成功者=苦労者の図式に強引にでも持って行かなければならなくなります。偶々運良く埋蔵金を発見してしまったらみんなに公平に分配せよという圧力に晒される事でしょう。そこで古の時からいかに苦労してきたかを語るのが成功人の恨まれない知恵なのです。ならしょうがないと人々を納得させるために。この厳しい生存に苦労が無い人は珍しいから苦労話の一つや二つ見つけるのは苦も無い事。しかしそれはやはり普通の苦労話ではダメなのです。そのくらいの苦労ならオレもしたといってアイツだけがどうして恵まれるのだと不満がたまります。それこそみんなが納得する様な苦労話でなくてはならない。つまり成功すると必然的に未曾有の苦労話がオマケで付いて来るわけです。そうしなければならないという理由で。暑くて頭がぼーっとしてくるとこんな事を考えるわけです。