日本の野球改革

セリーグもファイナルシリーズか何かを導入してなんで中日と巨人が戦っているのかさっぱりわからんけど、どうもいま一つスッキリ来ない。
真の日本一を決めるにはどうすればいいか。リーグ優勝してもそのリーグのレベルは比較できない。もし片方のレベルが異常に高かったら最下位のチームが片方のリーグでは1位になれる実力がないとは限らない。それは極端としてもポストシーズンを盛り上げる為に上位3チーム両リーグで6チームの日本シリーズを戦えばいいのでは。まず2部構成にしてリーグ1位のチームは初めから2部決定戦に出場できるとする。ただ待っているだけと調子を落とすチームが多いので成績に関係なく調整気分で試合に出場できるとする。しかし対戦相手にはそのまま成績に関係する。つまりここでリーグ優勝以外の2チームが残る事になりその2チームとリーグ優勝のチームが後半の2部で戦う事になる。そこで勝ち残った同士が真の日本一を争うのだ。そうすると同じリーグのチームが優勝する場合もあるしリーグ優勝以外のチームが優勝する場合もある。まぁポストシーズンなのでリーグ優勝にこだわらなくてもいいのでは。それにこれでリーグのレベルが違う時は真の日本一が決まるので良いと思うが。

国が対策に乗り出せば乗り出すほど株価は下がる

市場が一番恐れる事は国有化だ。国が対策を施すというのは一歩一歩国有化に近づく事になる。市場が凍結されれば資金は自由に引き出せなくなり文字通りの塩漬け状態となる。自分の金であっても手も足も出ないとなる。そうなると本当に実質社会主義国家となってしまうわけだがやっと追い出した社会主義国がこんな形で復活するようになるとは夢にも思わなかっただろう、誰にとっても。
だから最善の方法は放任主義しかない。一時的にはかなりの混乱に陥るだろうが一番早い復活を果たすだろう。逆に国による補填は市場の息の根を止めかねない。そうなれば自由市場経済に戻るのに何十年かかるか分からなくなる。

浮世絵展

江戸時代、今から200�300年前に大衆文化でこうした世俗画が流行したのは世界にも類が無い事だろう。それが日本が独特に漫画を発達させたような気がする。そういう基盤や素地があったから漫画が受け入れられたとも言える。でこの浮世絵がまた芸が細かい。髪の毛一本一本が見えるような細やかなものまで。また版画なので押し絵で浮き彫りの表現も見られる。萌え文化は江戸時代でも流行していたのだ。

新しい富の再配分が始まったな

今起こっている事はきっと人類にとってはいい事なのだと思う。世界全体の中で貧富の差が激しくなっていく中でアフリカを代表する飢える人たちがいる一方で、UAEなどが石油バブルで1000mタワーなど浮かれている事をしていた。そんな世界が崩壊するのは理にかなった事だろう。先進国という国々が富を集中させていたのは事実なのだから人類はこの反省を踏まえて世界を再構築しなければダメさ。まぁでものど元過ぎれば熱さ忘れるのが人間の常だからこれ位のしっぺ返しがどれ位の薬になるかしらんけど。神は公平である証が見られて安心した。

既存社会にNo! 都合のいい解釈

車屋が車を作る。広告屋が広告を作る。もうそんな社会で無くなったのにいつまでも同じ仕事を続けてる。今回の金融危機もそういった社会に嫌気をさした面がバックグラウンドに無いとは言えない。もっと自分の関係する側から仕事を見つめ直さなければならない。車を走らせる為に危険な交差点があるなら改良工事をメーカーが行ってもいいだろう。シャープは太陽光電池トップから転落し危機感から発電事業に乗り出すと言う。広告も問題が経営にあるなら経営にまで口を出すしかない。20世紀は分業で自分たちの出来ることを高度に専門化した形で行ってきたがそれが限界に達して、更に負の要因を背負う事になった。本来の目的を見失い効率優先、利益追求のみ走るようになった。人間が求めるのは幸せなのに、仕事で追い回されて不幸になる事が本末転倒だという事が分からない。そんな警告が今回の金融危機から見える。

自由主義経済の消滅

まだ多くの人が気づいていないようだが資本主義自由経済は一夜にして消滅したのである。政府が市場経済に穴埋めするという事はそういうことだろう。事実上の統制経済なのである。国が金を出すという事は口も出すということである。事実救済された金融機関は大きな足枷を嵌められたのでありこれまでのように自由な行動はできずいちいち政府にお伺い立てなければならないだろう。これがどの位大きい変化なのか誰も認識していないのかもしれない。もう今までの状態に戻る事はないかもしれないのだ。株式取引も何かと様々な制限が課せられるだろう。一日の取引量の制限とか変化量での市場の休止とか。とにかく多くの人が信じてきた世界認識は幻だったのであり現実はいつの間にか別な経済状態に移行していたという事なのだ。また歴史は新たな発展段階に達した人類を記録したのかもしれない。