歳を取ってからもっと勉強していけばよかったと思う心は通じない

回想としてはそう思うけどが当事者としてはそう思わない。そんなの人事だからそう思うのであってやってる身としてはこんなつまんない事やってられねぇと。それが若者と年長者の永遠の断絶の構造というものか。若者にとって歳をとるという事は頭で分っても理解する事はきっと不可能なことなのかも。自分が歳をとるなんて保証は何もないわけだしそれは生き残ったものの感想なのだろうか。

この世界の仕組みが知りたいから

みんながみんなそう思っているわけではないだろうが、だから限定的な答えにしかならないが。時計がどうやって動くのか見たくてバラバラにしてしまう。でも最近の奴はダメかもね。しかしどうやってこの世界ができているのかは多くの人の興味の対象だ。その取り組み方も人それぞれだ。ある人は機械をバラして。ある人は人間関係を観察して。ある人は因果関係を観察して。様々なアプローチからこの世界の解明を試みる。直感的に掴む奴。何事も確かめるまでは信じない実証主義な奴。ある程度自分の頭で考えれば見えて来るものもある
 ある時綾取りをしながら思ったものだ。自分で一つぐらい新しい技を編み出せないものか。半日くらい悪戦苦闘してみても何一つ新しい技を編み出せず挫折した。こういう歴史の積み重ねっていうのは凄いな、と。こういうのって代々積み重ねて技が編み出されていくものだろう。基本は一人の天才が編み出したのかもしれないがそれが歴代の人々によって積み重ねられてきたものではないか。そうなるとたった一人で対抗するなんてとても無理。一番いいアプローチは綾取りのこれまでの技を全て習得してそれを徹底分析することだろう。だから既存の研究学んでその上で考えた方が効率的なのだ。そこに自分一人で考える事の限界と先人の研究を利用する事の理由がある。勉強するって概ねこういう事か。
子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明 - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

いつもはOKだったのになぜ今回はダメだったのか

こんな大きな問題になるなんて、捏造だっていつもやっている事なのに
こんな大きな問題になるなんて、消費期限だっていつもやっている事なのに
こんな大きな問題になるなんて、必修漏れだっていつもやっている事なのに
こんな大きな問題になるなんて、耐震偽装だっていつもやっている事なのに
こんな大きな問題になるなんて、速度超過だっていつもやっている事なのに
一体いつもと何が違っていたというんだ。
それが微妙な誤差なのか神のいたずらなのかタイミングの問題だったのか。あるあるの件では微妙に不二家問題が作用したっぽい。それに問題の絶妙な位置というのもあったかもしれない。ようは納豆と言う商品の日常での位置づけ。言われているほど食べられていなかった。アプローチの手軽さ。毎日2パック誰でもできる。だから信憑性に余計に疑いの目がいったわけで、これが毎日10kmマラソンだったらそれは無理と諦める人が多かった。多分絶妙なツボに入ってしまって大ブームになってしまった。こんな多くの人が実践してるのに効果が現れない、疑い、謝罪、祭りという経過。ま、いくら捏造しても誰も注目しない番組だったら問題にもならないわけでヒットを飛ばす事の怖さをまざまざと見せてくれたというのが今回の事件の見方でしょうか。

みんなやってるよ

電車の速度超過みんなやってるよ
建築の耐震偽装みんなやってるよ
食品の賞味期限無視みんなやってるよ
テレビのデータ捏造みんなやってるよ
建設の談合みんなやってるよ
みんなやってるのにどうしてうちらだけ捕まえるのや。
スピード違反のように運が悪かったで済ませましょうか。

封建社会に個は無いとよく言われる

しかし辱めを受けたとか武士として屈辱であると言った場合は個というより人間として、個人でなく一般の人間としてあるいは武士としてあってはならない事ということだろうか。ていうと封建社会は究極的なマニュアル社会なのか。まぁ確かに仕来りとか作法というのはマニュアル以外の何ものでもない。仇討ちなんかも個の復習というより周りからの要請や圧力の方が強いのであって本人がやる気がなくてもやらざるを得ないという事もあるだろう。しかしそうした衣を身に纏ったといってもその中で個は確かに生きていたというべきで決して個が無かったわけではないだろう。寧ろそういう個があるから戒めとして主に仕えるという事が奨励されたのである。