リメイクはなぜダメなのか

リメイクのダメさ加減を決定的に齎したものはと言えば私にとってそれは“帰ってきたウルトラマン”であった。初めて見た時、こんなはずはない、何かの間違いだと思いながら二度三度と見たが裏切られ続けた。やっぱりウルトラマンはもう帰ってこないんだと悟ったとき私の中で何かが終わった。あれが名作というのが何かの番組であったような気もしたが私の感性とはもうまったくすれ違う事もなかった。チキンラーメンおいしいというぐらい私の中では違和感がある。チキンラーメンの作り方や食べ方がどこか間違っているのだろうかと思い何度か試したような記憶もあるが定かでない。こうしてチキンラーメンはまずい、“帰ってきたウルトラマン”つまらないという事が私の中で確定した。
 で、リメイクはなぜダメなのかである。まず観客の期待値が上がっている。最初から知名度のある昔の作品を持ち出すのだからそれは両刃の剣である。まず最初の作品はなぜ成功したのか。そこは誰も期待せず内容に魅せられて引き込まれていったのだろう。一体どういうものだろう。そこに少なくても驚きがあるから惹かれるのである。それがリメイクでは難しい。へたに驚かせようならこれは○○ではない、と言われてしまい、かといってなぞっていては何の魅力も引き出せない。それがリメイクのジレンマと呼ばれるものである。

自分が勝てないならルールを変えてしまえ

そういう思考法は結構あると思う。子供の遊びでも自分が勝つ為にルールを変えようと考えつくのは割と見られる。それが徹底しているような気がするのがフランスだ。2〜3年前F1の世界でブリジストンミシュランの壮絶なタイヤ戦争バトルが行われていた時、技術では追いつけない事を悟ったミシュランが開幕近くになってでレース中のタイヤ交換禁止という提案をしてきた。そんな危険なルールが通るわけないと高をくくっていたブリジストンはさしたるロビー活動もせずに過ごしていたが開幕直前になってタイヤ交換禁止が正式に認められてしまうと愕然としたが時既に遅し。まぁミシュランがこのままでは今年のレースは一方的になってしまって観客動員数でも影響が出るという判断もあってミシュランFIAの思惑が一致したという事もあろうが技術さえあれば勝負に負けるわけが無いというブリジストンの純粋さも余り褒められたものではない。これが国際政治の表舞台で活躍する仏の直系企業であるミシュランのやり方なのだ。その年はブリジストンも寝耳に水の決定にかかわらずがんばったが、元々このルールが通る事を見越していたミシュランは1レースきっかりで寿命がくるスペシャルタイヤを用意してその年の年間王者をさらったのは言うまでもない。その年はタイヤがもたず最後まで走れ切れなかったり、余りにも危険なためミシュランユーザーが全車レースを棄権という事もあった波乱の年になったが結局はなり振り構わないミシュランが勝ったのである。100年後そんな事を覚えている人もいないので記録だけはミシュラン勝利と残るだけなのでそれでいいのであろう。それに僅かでも抗うためここに記録しておく。なんてね。

雨にも負けて

雨にも負けて
風にも負けて
雪にも夏の暑さにも負けて
気弱なからだをもち
欲はあり
いつも感情の赴くまま
泣いたり笑ったりしている
一日に三度の飯と
おやつとお菓子を食べ
あらゆることを
自分も勘定に入れて
よく見聞きし分かり
そして忘れる
都会の雑踏のビルの陰の
よくある集合住宅にいて
東に投票に行こうと言われれば
投票に行っても無駄だといい
西に原発は危険と言われれば
痛みに耐えてよくがんばったといい
南に不正介護事業者あれば
事業撤退できて良かったねといい
北に自動車生産休止になったら
売れない時にちょうど良かったじゃねえといい
地震の時は被害が少なくて良かったと思い
台風の時は進路がズレて良かったと思い
みんなに役立たずと思われ
忘れ去られ
気がつかれもせず
今のままで
わたしは
いたい

無駄を認める

これは結構難しいライフハックだと思うけど。潔癖性的傾向を持つ人ほど無駄は悪とばかりに徹底的に排除しようとするが。もちろん無駄は無い方がいいに決まっている。でも結果的に無駄かどうかは未来を見通せる能力の無い人間には不可能な面もある。では何が無駄なのか。明らかに間違った行為をしているなら無駄と認められるか。それも規模によっては容認できる事か。それにはその他の効果はないのかも考慮しなければならないのだろう。まだ自分が分かってないからうまく表現できない。

誰からもそれは違うと言われたらその論理を自分だけ貫けるか

普通はやっぱり間違っているかもと思う。例えば今日が25日と思ったら世界中の人間が26日という。そしたら自分の勘違いと思うしか無い。腕時計が25日でもそれは腕時計が狂ったと考えるしかない。「フライトプラン」でも同じ設定があったな。自分の子供が一緒に搭乗した飛行機の中で行方不明になり乗客の誰もが子供の姿を見ていたはずなのに知らないという。その時、自分を疑うのか、世界を疑うのか。これも答えの無い問題の一つなのだろう。もちろん映画では結論を用意したろうが、それはそれ。

ディズニーかなんかで仏のシェフのアニメが

レミーのおいしいレストラン」
でネズミと料理。この組み合わせは日本ではありえな〜い! これが日本の潔癖症的国民性から来るのか、和と欧米の根源的相違から来るのか注目される所ではある。あ、高温多湿の日本は物が腐りやすいというのも影響が大きいのか。比較的低温乾燥が基本の欧米は中々腐らない?

本当に現状の原発が安全なのか

失われていく技術にはノスタルジーが伴う。スチームパンクが注目されたのも蒸気機関が過去に葬りさられようとしているからだ。原発には日本が主流にしている水を減速材として用いるものと黒鉛を減速材として用いるものがある。この黒鉛を用いた原子炉がチェルノブイリの原子炉であった為、直接の原因でないのに危険として排除されている。まぁ専門家がそういうのだから危険なのかもしれないが本当に顧みる所が無いのかよく研究してもらいたいものだ。まぁ日本で同じ型の原子炉を作ろうなんて勇気はないだろうが。というか事故が起こったらそれ見た事か言うに決まっているのではなから選択の余地など無いのであるが。
 単純に考えると減速材としての水を使わない分、その水漏れは心配する必要はないのだから地震には強そうである。写真で前に見た事あるのだが黒鉛減速型原子炉の周りに敷き詰められた六角型の黒鉛は蜂の巣のようでなかなか壮観で思わず“萌え〜”と言ってしまいそうになる光景である。いずれにしても発電の為には水を蒸気に変える部分は同じなのでその部分の水漏れは心配しなければならないのだが。
 なぜ黒鉛型原子炉が廃止されたのか。調べれば分かるかもしれないが面倒なので。結局、火災の延焼を防ぐのに減速材の水が防いでくれるという考えから来てるのか。黒鉛は燃える?、周辺火災が起こった時はそれも有効かもしれないけど。チェルノブイリと同じ型だからという理由だけで使用を止めたとしたら、人類の科学も迷信には勝てなかったという事だな。
黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉 - Wikipedia
 と思って調べてみたらかなり結構直接の原因みたい。その後改良されたみたいだが。これだから素人は困るの見本のようなエントリだな。いやぁ、それでも得られるべき所は得るべきで何も0にする事ないでしょうという事が言いたいのであって、まぁつまりそういうことで。でわでわ。