世界が私たち世代で終わってしまうかもという不安

こういうのもいつの時代にもあっただろう。世も末、世の終末論はいつの時代にも囁かれていた。それは今という時の過酷さを物語ってる。しかしそれはいつの時代の人も辿ってきた道であり昔は良かったで済む話ではない。いつの世も困った事態が起き天才的といわれる為政者は奇抜な発想で打開を計った。常に奇抜な発想が為政者に求められるわけではないけれどカリスマ性を獲得するには必要な要素である。ただ次世代に引き継ぎたいと思うだけでは爆弾ゲームのようにさっさと自分の代が過ぎてしまえばと思うだけで何の楽しさも無くなってしまうが別に世が滅びるのは自分のせいではないとすれば何代続いた世であろうとプレッシャーを感じずに済む。自分ではどうしようもないものをどうにかしようなんて考える事自体不遜な態度というしかないわけでなるようにしかならないというのがある意味正しい態度というわけである。