日本は趣を第一にする性向

趣とは何かといっても簡単には答えられないかもしれない。そういう分かりづらさが売りになる。何でも単純に分かってしまうものは飽き飽きされますからこれぞ東洋の神秘ですといえば高値で取引されるわけです。で趣といえば周りの雰囲気です、それらしさを醸し出す周辺ですとでもいえようか。しかしそれではキョトンとして何の事だか分かりませんと言われるかもしれない。で答えに困ってそれが美しい国という意味ですと言ったらそう間違っているようにも思えない。なーんだ美しい国ってそういう意味だったのかって、知らん。しかし何かを得ようと思っても趣がなかったらそれを得たとは思わないのが日本人ではなかろうか。実質よりそういう架空のものを重宝するのが日本の七不思議の一つである。趣があるというだけで同じ物質同じ材料からできていても高値で取引される骨董品がある。それはデザインということに集約される場合もあるが事はそう単純ではない。人と人とがあった時や動作や立ち振る舞いまで趣というものにこだわるというか左右される民族であると言えない事もない。現代でもそういうのは確かに残っているしそしてそれはとても大事なもののような気もする。しかしいつかは無くなるかもしれない。そうなったら本当に日本は座標上の位置しか意味が無くなるだろうか。いや中々そこまでは行かないものだろうな。