24時間テレビはどうして止められないのか

 もう誰もがいい加減うんざりして見え透いたできレースにゲップの百回も出そうな頃なのにテレビ局の人はさも真剣に行っているのはどう反応したらいいか対応に困ります。当初は試行錯誤しながら作っていく感がなきにしもあらずだったのにうまく行ったものはそのまま定番化してしまって気がついたら定番化で埋まってしまった何の考えもない番組に成り下がってしまいました。誰もがつまらないと思いながらも止められない社員旅行のような趣がありますがこういうのはまったく困ったものです。きっと局内では冷たい怒りが充満していることでしょう。いったん成功したら数字のために落とせなくなってしまう。まったくどうしようもない事態ですね。誰もがつまらないと思っているのに止められない最悪の事態です。しかし数字が出る限り止めるわけにはいきません。どうしても続けなければならないのです。ではどうしてつまらないのに数字が上がるのか。それは人間の習性にもよるのでしょうか。つまらないけれど定番だから見なければいけないという義務が生じます。そうなるとやってる方も見てる方も義務ですから面白いわけありません。まさに苦行です。
 まったく誰もが無くなればいいと内心思っているのに誰も言い出せなくて下らない行動が続く。まさに社会主義政権末期のパレードのような状態である。さぁ誰かが救世主になってこの事態を打開しなければならない。マッキントッシュの有名なCMのように全体主義を打ち壊すハンマーを投げ込め!
 しかし実際問題としてどう救いようがあるだろうか。新生24時間テレビは今までやった事は全くやらない。毎年その年だけのオリジナルな番組作りに取り組もうとすればそれなりのものができるはずだ。まったくオリジナルで24時間持たせなければならないとすれば製作陣はかなりのプレッシャーになるだろう。失敗するかもしれない。しかし、もう前年と同じ事はやらないと枷を嵌めてしまえばやるしかないのであり開き直れるというものである。という事で全ての責任は首脳陣の決断にかかっているようだ。はっきり言おう!24時間テレビがつまらないのはそういう結論が出せない社長のせいである。
 結論が出たようだ。まぁそういう決断ができる人物は今の日本にはいなそうなので期待などしていない。来年もどうしようもない24時間テレビが続くのだろう。それは甲子園が無くならないくらいに確かな事だ。そして救われない日本相撲協会もそのまま存続するのだろう。このつまらなさはそのまま日本のつまらなさに直結しているのだ。そこに気づかないのが日本が救われない所なのに。そう思いませんか○○さん。