何が変わったのか

■[heureka]うるさいのが子ども
世間の常識だと思っていたんだが、ダメなんすね。
痛いニュース(ノ∀`):「児童館で遊ぶ声が騒がしい」「部活の練習がうるさい」「プール授業がうるさい。地下プールにしろ」 子供の声「騒音」、自治体への苦情増加
保育園で夏祭りをやる時、たった1日、夕方5時ごろ、1時間、テープをかけて、園庭で盆踊りを踊る。
それだけでも、「○日、何時から、1時間程度、盆踊りを踊ります。すみませんが、よろしくお願いします」
って、先生たちがご近所を歩いて、挨拶するそうだ。
この辺はそうでもないんだが、他の園で挨拶しなかったら、電話で「うるさい」と猛烈な抗議があったそうだ。
「うるさいから、極力、子どもを園庭に出すな」ってことも言われたりするんだとさ。
どっかの保育園で子どもを連れて散歩をしていたら、「子どもがうるさい」とやっぱ電話があって、
そこの家の前は通らないことにしたとかさ〜。
痛いニュースではなくて、よく聞く話ですよ。ハイ。

昔から煩いと思っていた人はいたわけだが、それを口に出す人は少なかった、口に出しても文句を言ってくる人はいなかったという事だろうか。常識もだんだん変わってくるから仕方が無い部分もある。昔は何もかもルーズでなぁなぁだったとも言えるし、今は何もかもマニュアル化される社会でもある。誰も彼もが勝手な事を言い合う社会でもあるので一人でも文句のある人が出たら苦情が出るという事もあるだろう。昔だったら地域の代表が取り仕切って個々の文句は許さない縛りがあって物を自由に言えない不自由さ統制があったりしたが今は自由になってそういう事もできちゃう世の中になったと。自由とはそういうものだから文句を言うのも自由と。じゃ、地域社会を密接にしてというのもそれが嫌だから都会に出てきた人間というのもいるのだから事情は複雑。結局厳密なルールを求められ何デシベルまでに抑えるという数値規制を持ち出さざる得なくなる。これが文明の進化なのか退化なのか微妙な所でもある。気付いてしまったら後戻りできない。意識に上った物は消す事はできない。発見してしまった事は無かった事にできない。逆戻りできない歴史に人類はどう対処していくかという問題なのである。
追記
この問題と赤福の問題が同じ平面にあるのに気がついた。
どちらもその行為は昔から変わらず続いていたのに周りの環境が変わっていってしまった。
赤福餅の「不正行為」に関しての一愚考 - 木走日記