コンピュータに人間のマネをさせるのは不毛

人間の代わりをさせるという需要があるとしても人間の行動原理をトレースさせる必要もなく見かけだけの表面を装えればいいわけで別にバレたって構わないし見分けがつかないという事に重要な意味を見いだすのは特殊な用途に限られる。最近の音声で知らせる家電でもその意味をマイコンは知らなくて構わないし条件分岐だけの動作だけで問題ない。
 人間の今の行動原理がどうして出来上がったかとすればそれは生存競争の結果というしかないだろう。それをコンピュータにシミュレーションさせる事に何の意味があるか。コンピュータも日々最善の結果を出すように最適化されてきた。それぞれの道を突き進んだ方がより最適化したシステムになるだろう。で、コンピュータに人間のマネはできないとか、人間はコンピュータに敵わないとはまったく無意味な論法に陥る。それはまったく別な物なのだからそれぞれに最適化すればいいのである。といった所が人工知能の開発熱が醒めた原因かもしれない。