ICカード社会の何か

イカの残高が減って来たためチャージした。券売機に千円札がスルスルと飲み込まれる度に取られている感が否めない。それは見返りが現物で返ってこないというこれまでの身に付いた体験や口座入金のようなレシートさえ出てこない所にあるのだろう。これでICカードが金額を間違っていても確認する術がない。これが社会に認められるという事は既にICカードの信頼性と利便性をかけて利便性を優先させたという事である。これが戦後直ぐ技術的可能であったとしても社会は受け入れなかっただろう。社会の受け入れというのは技術的問題だけではないのである。そこには心理的容認という段階が含まれている。
 でこの時チャージは千円単位しかできないのだ。必要なのは200円余りでも千円を入金しなければならない。とするとICカードには常に残高が残るという事になる。これが発行枚数だけある。この金は常に発行母体の企業が有するわけだがこれは企業の資産に数えられるのか。これが投資金として回るなら経済的に有効に使われているという事になる。きっとそうなんだろうな。そうでないと市場経済に有効に機能しないし。