原因があって結果が生じる

これはある一つの要因があって一つの結果が生じると考えられている。そう信じられているから科学は仮説を証明し、犯罪の犯人は検挙される。しかし「薮の中」で話される事は一つの結果から登場人物の数だけ違う話が展開する。現代なら本当の事を言っているのは一人でそれ以外は嘘をついているという事になろうか。しかし実際問題として記憶違いによりだれもの言う事が不正確という事はあり得る。それぞれが正しい所もあるがみんな勘違いをしている部分がありどれかが真実ではなく真実は全員の話の合成の中からしか取り出せない。しかしもっと飛躍すれば全員が本当の事を言っているという事だって考えられる。それはその人の立場からはそういう風にしか見えない。だからみんなが言う事がバラバラであっても矛盾しないのである。みんなが自分にとっての真実を話し出す。それを合成して客観的なストーリーにしようとしても矛盾して成り立たない。おそらく言葉の定義、解釈、使用法が錯綜して勘違いが生じているのだろう。それがどこがどうなっているのか分からない。中世とはおそらくそういう世の中だったと思われている。それが近代化の波に洗われて余剰が削ぎ落とされ骨格だけが必要とされ無味乾燥な論文が作成される。そこには人の想いや悲しみや喜びは余計なものとして排除される。しかし同時に失ってしまったものは何なのだろうか。そこには不安だけが残される。現代人に覆いかぶさる不安。