ところでアレは守られているのか

アレは少し堅苦しくなりそうなので代名詞で済ませてもらっている。結局アレは何だっていいのではないか。単なる飾りではないのか、という疑問は未だに解決できない。それは検証不可能で想定でしか推論できないからだ。アレを変えたらどうなるなんて実際やってみなければ分からない。現に今もアレが守られているとは思っている人は少数派だろう。いや本来アレとはそういうものでそれは大人の叡智が生む素晴らしい解釈があって初めて機能するものだとも云われている。では一般の人が理解するのは不可能なのか。それ位のレベルの高い人間しか近寄れない高貴なものなのか。もしかしてアレはニャン語で書かれていてもいいのではないか。いやいやあれは象徴だから読める必要もない。どういう解釈でもできるのだから何だっていい。これがアレだと言うだけで成立するものなのだ。梵字辺りにしとくと有難みもあって解釈問題も中々起こりにくいのではないか。