弁護団の人数

日本ではアメリカンヒーローは生まれないから多数で責任分散という手法を取るしかないのだろうけど。きっとこれが米国だったら(という前提はこの事件の成立まで遡る問題だが)一人の弁護士が華麗に登場していかにこの事件が悲劇性に満ちていてその空虚のヤミに陥ってしまった加害者の情状酌量を華々しく展開したに違いない。いやもっと世間の常識の度肝を抜く展開で、しかしここは日本だからなという所でその妄想も停止してしまうのだが。これが日本で日本的な解決方法で実に日本的な反応を見ているのだなという気は確かにした。こうやって様々な事件事故を社会が共有していくというのが日本社会を形作っているわけである程度歳を取るとその中にスッポリと入ってしまう自分に気付く。